はじめまして。
幸せママになる”しなやか”子育てカレッジ
保育士歴18年、子育てカウンセラーの唐澤ひとみです。
アダルトチルドレン、毒親・トラウマ・不登校・発達障害・愛着障害・不安障害等々
子育てママさんや幼児教育に携わる方へ
カウンセリングや講座をしています。
【短いプロフィール】
・神奈川県出身 1973年 横浜生まれ。明朗活発、世話好き典型的な長女気質。
小さいころからしっかりしていて、まじめな子だねと言われすぎ、頑張りすぎてしまう性格、いつの間にか人に、「教えて、助けて、できない」と弱音を吐くことができない子でした。
・父は、亭主関白、妻は家のことをするのが当たり前、家族は父親の言うことを聞くものだと厳しい父でした。母は、専業主婦で、料理や裁縫も得意で、家事を上手にこなす完璧な母でした。
小学生4年の頃から両親のケンカが増え、別居、離婚し、いわゆる機能不全家族です。
・中学では、いじめにあったり、バスケ部では妬みや嫌がらせでシューズを隠されたり、オリジナルのトレーナーの背中にバスケットボールの絵にカッターで傷をつけられ、それも誰にも言えず過ごしていました。
・社会人になると、親の離婚での差別で就職活動に影響がでた経験で、幼稚園教諭として片親で育ったことがマイナスにならないように知識を豊富にしておこうと学び続ける20代でした。
多くのご家族や子どもたちと関わり、私が人として、保育者として、どう関わることが大切か!と真剣に考える人生の転機がありました。
精神科医であり臨床教授の子育て協会で8年間、子どもの発達心理と子育てカウンセラーへの学びに参加しました。
・精神科医臨床教授のカウンセリングを受けたり、心理学を深めたく経験豊富なカウンセラーの講師に実践に強いセラピーを学び、自分を大切にし安定した情緒を手に入れ、カウンセラーとしても充実しています。
・保育経験、フラワー講師としてお花を通して、五感を豊かにすることが子どもたちの情操教育にも効果があることを伝えています。これまで、親子やキッズレッスン、先生方へのフォローアップ講習会の保育子育てアドバイザー講師の依頼をいただきました。
≪幸せママになる¨しなやか¨子育てカレッジ≫
カウンセラーとして、子育て中に悩む、お母さんのイライラ不安、自分が嫌い、完璧主義などの思考を手助け、ママが毎日楽しく過ごし、笑顔の素敵なママになってもらいたいとカウンセラーとして活動しています。
【↓さらに、詳しいプロフィールはこちら↓】
目次
- 「頑張りすぎなくて大丈夫」の言葉をもらい5歳の私が教師になりたいと思った原点
- 勘違いされた恐怖体験で人に「助けて」が言えない小1の私
- 子どもを思う母の勇気を出した父への反発
- 「お金をかけて習い事してるから、楽しいだけではダメなんだ」とのびのびとしていた私が消える
- 中学校から戻ると「おかえり」という母の声はなく代りに一枚のメモに「おかえり」部屋の静けさが寂しい
- 私が作った役割 じぶんらしくを捨てた15歳の優等生
- 中学で自分の机、いすがなくなり教科書に落書きされる卑劣ないじめ
- 「親が離婚している人は幼児教育に携わってほしくない」といわれた衝撃的な就職活動
- 顔色見ながら人に尽くしすぎ自分が一番自分を大切に出来ずにいた恋愛
- ヒステリックな保護者の「子どもも産んでないくせに」の言葉に胸が締めつけられた保育士6年目
- 自閉症の苦悩に立ち向かう母の強さに感銘を受けた24歳保育士の私
- カウンセリングと心理学で私の過去のトラウマも小さくなり、保育士としての意識も激変
- 応援してくれる人がいることで安心して行動できる
- 心理学は財産に園児たちとのかけがえのない関りが安心の土台に
- 生きることをあきらめない強さ 4歳の心の土台に胸がグッときた春
- 30代前半に結婚したとたん、「担任を若手にゆずらないか」といわれ居心地が悪くなる職場
- 保育士人生に後悔はないが 燃え尽き症候群のような症状と身体の悲鳴に気づいた40歳
- 第2の人生花から命の大切さや心のゆとりを頂く¨穏やかさと幸福感を手に入れる¨ 花セラピー
- 第3の人生スタート 自分の人生の生きづらさを大きく変えた心理学とカウンセリング
- 子ども時代の心の傷をいやすことで ママが毎日、安心して楽しめるようにカウンセリングでサポート
- 女性が仕事を長く続けるために カウンセリングで心のバランスを整える世の中へ
女性が一人でも多く仕事を続けられるため
「頑張りすぎなくて大丈夫」の言葉をもらい
5歳の私が教師になりたいと思った原点
2人姉弟の長女。明朗活発、友達に囲まれて外で遊ぶ子。
困っている友達を助ける正義感の強い子でした。
年長5歳の時、いつも先生の手伝いをしたり、みんなから、お姉さん的存在のように見られていた私でしたが、そんな私にも苦手なものがありました。
幼稚園のお泊り会は怖くて不安でした。当日は案の定眠れず、担任の先生におんぶをされ子守唄や折り紙遊びをしてみんなの寝ている間に先生とのプライベートタイム。この時先生が、「いつも、頑張りすぎなくて大丈夫、先生が一緒に居るからできない時は耳もとで話してね」と言ってくれました。
子どもながらに、うれしさと安心感で、先生の背中で胸がぎゅーっとした体験が忘れられません。
親以外の大人の人を最初に好きになった憧れの先生でした。
これが、5歳の私が教師になりたいと思った原点です。
幼稚園で人を信頼すること友達を大好きになる経験は、素直でいられ、かけがえのない心地いい居場所でした。
幼稚園の私は、みんないい人、優しい人たちなんだと思っていた年でした。
勘違いされた恐怖体験で人に「助けて」が言えない小1の私
小学1年入学して1週間後事件発生。
私の後ろの席の子が、黒板に向かって消しゴムを投げました。
すると、先生は私がやったと思い込み私の額をものさしで叩きました。
額は切れ流血。先生は優しいものだと思っていた考えが覆されました。
何にも聞かない先生の顔を見て気持ちは「私のことが嫌いなんだ」また、消しゴムを投げた子を言うとその子もたたかれると思い、私は自分の気持ちを言わずに我慢してしまいました。
机に広げた教科書を見ながら、「家に帰りたい、お母さん」「先生が怖い」と胸の中で言いいました。
クラスの注目を浴び、クラスメイトは、「私が消しゴムを投げたと思っているんだろうな」と友達の視線や先生の顔を見るのが怖かったのを覚えています。机に座ったまま、うつむく私が今も思い出します。
子どもを思う母の勇気を出した父への反発
「母からたくさん遊びなさい。」と言われ、よく外で泥んこになる女の子でした。
母は、一緒になって雑草や花を摘んでままごとしてくれたり、絵本をたくさん読んでくれる、優しい母でした。
父は休みの日に家族みんなで出かけるのが好きでしたが、亭主関白がでてルールに厳しく「~しなさい」が多かったです。
母の教育は「たくさん遊べば色々なことに興味も持ち、自分から勉強したい、必要なことなんだと気づくだろう」「友達と遊べば、いいことも悪いこともわかることが大切」と母が言っていたことをいつも聞いていました。
子どもといつも「しっかり向き合いたい」「いい母でいたい」子どもの気持ち優先の良妻賢母の母親でした。そんな子育て熱心な母が父に主張し始めます。
「子どもにかけてあげたい習い事の費用をパートでつくりたい」といった母でした。
「お金をかけて習い事してるから、楽しいだけではダメなんだ」とのびのびとしていた私が消える
私が5年生くらいに両親のケンカが増えました。
習い事にかかるお金を母がパートに出てつくりたいと言い出し、専業主婦でなくなることに反発した父が忘れられません。
「俺の給料でやりくりできるようにしろ」と怒った父の言葉に前とは違う母の様子に気づきました。
それから、いつも母を心配し遠くから見つめることが増えた私でした。
楽しい習い事から、「お金をかけて習い事しているから、楽しいだけではダメなんだ」「お父さんとお母さんがケンカするから習い事しない方がいい」と勝手に思いこむようになったのです。
いつの間にか、「やりたい」といってきた、のびのびとした自分とは反対に、
「我慢しないといけない」「楽しいだけじゃいけない」と思う私ができあがりました。
母は、「子どもがしたいことをさせてやりたい」と父に反対されてまでもパートに出て頑張ってくれてました。
母親を悲しませたくないと思うあまり、甘えられなくなってしまいました。
中学校から戻ると「おかえり」という母の声はなく
代りに一枚のメモに「おかえり」部屋の静けさが寂しい
ある朝、登校する前に、母に「帰ってきたらお母さんうちにいないから、鍵を持って行ってね」
「ごめんね、これ、お母さんの電話番号。いつでもかけてきて。」とメモ紙を渡されました。
もう、その言葉に涙がこみ上げ、「考え直して」「私からお父さんに話すから」と母の膝に顔をうずめて泣きました。その日の学校の出来事もまったく覚えていません。
ただ、帰るとドアは自分で開け、静かな家に一人。
テーブルの上にある母が用意してくれたおやつと「おかえり」のメモ紙がありました。
本当だったんだ「母がいない」
「これからどうすればいいんだろう」「うちは他の家とは違ってしまった、普通の家ではない」
この日から、我が家では、会話が減り、家族団らんの楽しく過ごすこと、笑う日はなくなりました。
私が作った役割 じぶんらしくを捨てた15歳の優等生
母親がいなくなり、馬鹿にされたくない、親に迷惑をかけてはいけない、自分のことは自分で決める等
そんな思考が頭をめぐり、毎日過ごしていました。
友達のお母さんからは、ねほりはほり聞かれたり、心中は「うるさい、聞いてこないで」とイライラしていました。
しまいには「あなたは、いい子だから。強い子だから大丈夫よね」と勝手なことを言う人ばかりにあきれていました。
責任感が強く、努力を惜しまない子
私が頑張らないと周囲にどういわれるか、「親が離婚してるから成績下がってかわいそう」「片親だと仕方ない」そんな声を聞きたくなく、もっともっとと努力しなければと、自分を追い立てていました。
中学で自分の机、いすがなくなり
教科書に落書きされる卑劣ないじめ
中2の頃、私は父の方に弟と残りました。父が心配でもあり、自分たちの学校もあったのでそれが正しい選択だと思いました。ここでも冷静を装う、大人びた子でいました。
ある時、友人が嫌がらせに合っていて、それを助けた時、「親がいないくせに偉そうに!」と言われました。
そこから、2年生の間は、私が標的に合い、苦しく寂しい思いをした中学生活でした。
ある日、教室の真ん中にあるはずの机、いすがなくなっていました。
教科書に落書きされたり、いじめはエスカレート。
この時の担任の先生からは心無い言葉を言われました。
「なに、ふざけているの、早く机持ってきなさい!」と私にいったのです。
「え、私?どうしたの?って聞いてくれないんだ。」そこで、私は、あきらめ無言で机を探しみじめな思いをしながら自分の机をトイレの前から運んだ記憶が残っています。
何度も「学校に行きたくない」とノートに書きだしては、絶対に休まないと決めて、休むことなく通いました。
「親が離婚している人は幼児教育に携わってほしくない」
といわれた衝撃的な就職活動
幼稚園就職活動中、ある園長先生に「離婚している親の子のあなたには、幼児教育に携わってほしくない」と衝撃的な言葉を言われて驚きました。
ちょうど大学生の時に両親が離婚していたので履歴書を見て言われ、就職試験も受けさせてもらえず、私は園長室からそのまま帰ることになりました。
「ここの幼稚園の園児で、離婚しているご家庭の人は、どんな風に見られているのだろう」
「片親の園児は?安心して幼稚園で過ごしているのか」と、ふとおもっていました。
子どもと携わる立場の人の偏見を体験し、人の痛みや悲しみ、気持ちが寄り添える人になろうと強く思いながら見返せるような保育者になるぞ!と思い渡した履歴書をもって帰りました。
雨の日になると雨に濡れたコンクリートのにおいで、この日のことを思い出します。
顔色見ながら人に尽くしすぎ
自分が一番自分を大切に出来ずにいた恋愛
長くお付き合いをする恋愛では、長くなるにつれ段々と相手に合わせたり、尽くしすぎたりするようになりました。
料理や洗濯をしてあげたり、やりたくない時も当然あるのに、「嫌われたらどうしよう」「女性はできて当然」みたいに父のもとで完璧にこなす母を見てきたせいか、自然とそういうものだと植え付けられたのかもしれません。
「~してほしい」「ありがとう助かる」なんて言われるたびに合わせている方が「ケンカもない」「喜んでもらえる」と他人の気持ちばかり優先していました。
心の内は「また~しないといけない」「断ったら嫌われるかも」と思って我慢していたのに、しんどい自分の気持ちは置き去りでした。
最後は、疲れてしまい相手に嫌われて別れた方が楽だとさえ思えました。
「仕事で疲れて会えない」とかメールの返事をしなかったり、電話に出なかったり。
そんな態度に自分の思う通りにできないと思った人は去っていきました。
私の20代は「疲れた」「甘えたい」と気持ちが言えないために自分自身を苦しめていたのです。
言いたいことが言えない、自信がない、顔色やどう思われてしまうのかが気になる。
理解してもらえないだろうと勝手に思っていたんです。
自分を大切にもしていないし、相手に気持ちを伝えられているわけでもなく、劣等感のかたまりでした。
人間関係を深く築くことをさけていた時は、私は愛されなくていいと思っていたのだと思います。
ヒステリックな保護者の「子どもも産んでないくせに」の言葉に胸が締めつけられた保育士6年目
園舎工事に苦情を言う保護者のヒステリックな大声。
「先生!子どもが遊ぶときに工事していたら危ないですよね!省略」
「ちょっと、考えてるの!」
私は、「作業見て音もうるさいし心配になりましたよね、警備員が数名立っていますので、こちらも、気をつけて見ますので。」と伝えた時「子どもも産んでいないくせに!えらそうに」と言われ強い衝撃を受けました。
お母さんには、子どもを産んでいないとわかるわけがないという思い込み。
人を信じられない何か、心に余裕がない状況、不信感があったのでしょう。
その時は、とにかく登園中の園児の前の出来事に、子どもたちが不安や恐怖に思うことが頭をよぎり子ども優先に対応をしたことを覚えています。
午後は、その保護者と面談をしました。
不満をぶつける言葉の数々のシャワーをあび続けた時間が忘れられません。
とにかく、根本的なお母さんのヒステリックな不安定な感情はどこから来るのか、見つける時間になりました。
保育以外の時間は、限られた時間の中で様々な業務をこなします。
保護者とのやりとりも大事な仕事ではありますが、精神的にも肉体的にもエネルギーがすり減ったのも事実です。
問題を抱える家族の対応は、数えきれない数を抱えて保育をしてきました。
子どもを取り巻く環境を頭に入れ、子どもを預かり子育てに大切なことを「結婚も子育てもしていなくてもしっかりと伝えなければならず、自分の信念と心の強さがとても必要な仕事でした。
自閉症の子育ての苦悩に立ち向かう 母の強さに
感銘を受けた24歳保育士の私
約30年前は、まだ、発達障がいの子どもたちの支援対応が十分ではなく、ご家族の方も大変でした。
触れてほしくない、声をかけてほしくない、そんなお母さんに出会うことが多かったです。
ある時「話を聞いてもらっていいですか?」
「自閉症といわれたがまだ、受けとめきれない」「成長したら言葉も出ると思う」でも、「周囲の目が気になる」「外に出るのも怖い」と葛藤した気持ちを話してくれました。
気持ちを聞けば聞くほど、そのころの20代の私が、どうすれば安心してお母さんが子育てできるのか、子どもも幸せに成長できるだろうと考えました。
お母さん自身の心のエネルギーが不足しているときに、サポートがどれだけ必要か。
感情をありのままに受けとめられること、大変な子育てを少しでも楽しくとらえられるようにサポートしたいと子育て発達心理や自閉症児のTEACCHプログラムなど学ぶきっかけとなりました。
カウンセリングと心理学で
私の過去のトラウマも小さくなり、保育士としての意識も激変
幼稚園教諭をしながら8年間ゼミに通い、子ども発達心理を勉強をしました。
その時の精神科医兼講師のあたたかいまなざし、経験豊富な体験談を聞かせてもらいました。
親の離婚、いじめ、偏見などの傷ついてきた私の心を解いてくれました。
「自分の感情をどれくらいゆったりと受けとめていますか?」
不安や怒り、愛、罪悪感、喜びなど、感情をあるがままに受け入れていくことの重要性を教えてくれました。
流れる涙と共にゆっくりと過去の傷ついた気持ちが小さくなるのを感じました。
学生時代から、親との関係、人間関係の改善と克服
罪悪感を持ちながら保育士をしていましたが、子どもの頃に辛い経験をした気持ちを忘れずに、
保育士としての意識、考え方ががらりと変わり、子どもの人生、成長過程で大切な役割である保育士になれたことを心から嬉しく思えるようになりました。
子どもの発達心理を学びながら、自分の生い立ちも照らし合わせることができ、自分のことを見つめる時間になりました。
悲しいこと辛いことの事実は消えませんが、大人になっても色々な人がいて、そんな出会いを、うれしいと思えるような大人になっています。
・子どもの発達心理(描画法・ファンタジープレイボード(箱庭)・自閉症TEACCHプログラム・少年犯罪心理描画)など学びました。
応援してくれる人がいることで安心して行動できる
私の先生になりたいと思わせた先生からの≪手紙≫より (現在97歳)
「下手でもいいから、気持ちがあふれている、あったかい先生でいなさい。」
「少しずつ、前を見ていても横にいる子どもの動きや心がわかる、そんな神経をもった保育者になるようにいるのよ.応援してるからね」と教えてくれました。45年間毎年手紙のやり取りをしていて幸せです。
心理学は財産に園児たちとの
かけがえのない関りが安心の土台に
子どもたち、一人一人からの純粋なまなざし
18年間の経験と私の保育者として成長や心の揺れ、喜びや悲しみ、苦労、充実感など語り出したらきりがありません。出会ってきた500人以上の教え子たち、同じ子どもはおらず、刺激の多い毎日を過ごしました。
朝のスタートは、一人ずつ抱っこし、「今日も一緒に〇〇しようね」そんな私のスタイルが、毎年入園時に、「抱っこいっぱいしてくれるギュ~先生」が愛称。
もっともっと!とアピールする子もいれば、無口で遠くから見ている子。
レントゲンのように、子どもたちの気持ちが瞬時に分かればいいのにと思うことさえありました。
安心感がもてない様々な家族のカタチに私はシンプルな愛の形で子どもと関わる
「抱きしめ」「よしよし」「だいじょうぶだよ」安心の土台
様々な親子関係をまじかで見て、子ども自身の心が満たされていない時、子どもの様子や行動は変わります。
素直に甘えられない、褒められることがない、抱っこをしてもらえない。
話をきいてもらえない、いつも怒られる、泣くと責められる、親との時間が少ない。
子育てでシンプルな愛の形を求めてきた子どもたちがたくさんいました。
とにかく、たくさん抱きしめ、安心して毎日会うことを心がけてきたので朝と帰りのハグは欠かさずに行っていました。
周りの人からもらえる愛の形があることを伝えたかったのです。
生きることをあきらめない強さ
4歳の心の土台に胸がグッときた春
・4歳で発症した急性白血病の女の子と私とクラスの子どもたち。
命と向き合う毎日を宣告された家族。報告をいただいたとき、一緒に親御さんと泣きました。助かる命は半分。
そこから、Aちゃんと家族とクラスの子とどう過ごすことがいいか考えました。
ある時、少し園に来れる日が出来ました。髪の毛が抜け、顔はパンパンにむくむ姿、クラスの中に久しぶりに入れば、他の子からどんな反応をもらうかわからない不安。ご両親も本人も私も同じ気持ちでした。
Aちゃんは、自分の口から病気のこと、髪の毛がないことを話すと言い出しました。
入院中にAちゃんの心は、成長していました。
両親の見守る中、毛糸の帽子を外し話し始めました。
「私は、血の中に病気があります。薬で治しているので髪の毛が抜けてきました。だから、少しの間帽子をかぶるし、お休みも沢山するので、たまに来たら仲良くしてください。」
一生懸命に向き合う姿に目頭が熱くなりました。
私は、驚いている子どもたちに少しゆだねてみました。
すると、何にも言わず、一人の女の子が外した毛糸の帽子をAちゃんにかぶせてくれました。
そのあと、他の子は、「毛糸の帽子かわいいね」「帽子に三つ編みついてていいね」と普通の会話をしてくれました。きっと、たくさん説明しなくても事の重大さを4歳の子どもたちは受け止めてくれたのでしょう。
あざだらけの腕を見れば、手を握るときに「痛くない?」と聞く子。
力が弱くなった姿に、ブランコを漕いでくれる男の子。
友達に支えられながらも、自分でやってみるというAちゃんの言葉にそっと見守る子。
友達のする姿に影響を受けて、自然に行動に移していく子どもの姿。
子どもの成長は、友達同士の中で育ちあう。産まれてたった4年しかたっていない子どもたちの姿に、私は学ばせてもらいました。
今、このAちゃんは、立派な看護婦さんになっています。きっと、友達に優しさと元気をもらい、家族にも支えられ、Aちゃんは乗り越えられたと思います。本当にみんな、偉かったね。
子どもの成長では心配、不安は、つきものですが、子どもたちの本来持つ力を信じていると、大人が驚くような力と素直な気持ち、素敵な感動を味わうことができると経験しました。
30代前半に結婚したとたん、「担任を若手にゆずらないか」
といわれ居心地が悪くなる職場
30代で結婚し、「担任を若手にゆずらないか」と言われました。
理由は、担任あるある。「子どもが途中でできたら保護者からクレームが来るから」「職員にも迷惑がかかる」と言うものでした。
昔は、暗黙の了解で、休みもなく、結婚したらやめるという雰囲気が私の職場ではありました。
だから、結婚してやめるか、結婚せずに仕事をとるか。
よく、職員と話したものです。それだけ、自分の考えを伝えることが大変な時代でした。
時代も変わり、今はそんな雰囲気なくなりつつあります。
私の時に、女性も働きやすい職場だったらとため息が出ます。
結婚して、何かあるごとに「無理しないで早く子どもつくったら」「自分の人生考えた方がいい」と言われ居心地が悪く、肩身の狭い思いをしました。
「ただ、仕事が楽しいだけではいけないのか」と心の中でつぶやきました。
保育士人生に後悔はないが 燃え尽き症候群のような症状と
身体の悲鳴に気づいた40歳
退職後すぐ、今までの環境が180度変わりました。
社会から離れ孤独感に襲われた、だからといって仕事の復帰は考えられませんでした。
もっと、身体に負担がなかったら・・・もう少し続けられたかな。
先生同士もっと、認め合ってコミュニケーションがとれたら・・・
自分から辞めたはずが、ストレスや疲労によって発生し、急に身体に変化が表れ始めました。
毎日、どのように過ごしていいのかわからないのです。
ただ、テレビを見ている時間、休憩している時間が「なまけている」とさえ思えてきました。
このころから、体質も大きく変化し、薬のアレルギーでアナフィラキシーショックを2回かかり
救急搬送され、慢性蕁麻疹に10年以上悩み続けることになりました。
第2の人生
花から命の大切さや心のゆとりを頂く
¨穏やかさと幸福感を手に入れる¨ 花セラピー
自分を大切にしないとこの先不安、自分の好きなことである花に触れることを選びました。
頑張りすぎないことを頑張る。
心の余裕を手に入れたいと思ったときに、フラワーアレンジメント教室に通いました。
今きっと、花で?と半信半疑かもしれませんね。
私自身が感じた花からもらった心の栄養
・四季を感じながら、五感を通して学ぶ体験ができ日本の花文化や美しさを感じ情緒面が安定する。
(笑顔が増える・明るい気持ち・夫婦円満・やる気があふれる等)
・花を育て、命への想い慈しみ、環境への意識が高まる。
・優しさや、感謝する気持ちが育まれる。
・人とのつながりをつくり広げられる。
・探求心や創造力を育まれる。
このようなメリットを感じ、自分の心が満たされ活動の幅広くなりました。
【フラワーデザイナーとしての多くの装飾・展示活動/保育アドバイザーとしてのメディア出演・講習会講師】
NYメトロポリタン美術館オブジェ展示、大使館、音楽コンサートホール、横浜フランス映画祭エントランス、女優 秋本奈緒美さんのジャズライブ装飾、など多くの公共施設で装飾経験を講師たちとさせていただきました。
お花の実績をコツコツ積み上げたご縁
・地元ラジオ局からゲスト出演を5回
・タウンニュース
・フラワー雑誌作品多数掲載
・コロナのワクチン研究のためのチャリティー活動
フラワー講師9年の活動も幅広く経験させていただき、幼児教育の経験と子育てカウンセラーとお花の経験から、いいところを合わせ、子育て中の方や幼児教育に携わる皆さんに次のこともお伝えしてきました。
子育てに効果がある花と触れるメリット
・親子でのふれあう時間が増え、目線合わせて一緒に遊びながら【子どもの心に触れる】大切さがわかる。
・子どもの五感が刺激され、情操教育にもいい。
五感・・・(触覚・嗅覚・味覚・聴覚・視覚)
情操教育・・・(心を育てる・美的感覚・知的好奇心・道徳的心の安定)
・子どもの本来持つ生命力をのばす。
・子育てでの悩みを花を通しながら接し方や見守り方がわかる。
・花の命に触れることで、毎日の小さな幸せに気づいたり、自分の子供が好きになる。
上記のような気持ちを持ったお母さんに育てられていくと、
子どもたち自身が愛されていることを感じ、自己肯定感が育まれていきます。
イライラや不安で身動きが取れず悩みすぎて、苦しんでいるあなたの未来が、優しさに包まれて笑顔があふれ幸せママになれるように100%味方となりサポートさせていただきます。
第3の人生のスタート自分の人生の生きづらさを
大きく変えた 心理学とカウンセラー
コロナ過になり、フラワー講師の仕事も対面でできなくなった時、今までの人生で一番、今後をどう生きるか、何がしたいのかに向き合った2年間を過ごしました。
行きついた結論は、やはり心理学を深めること。
幼児教育、フラワー講師、経験を活かすために実践に強いスキルを増やし、自分自身の強みをしっかりと打ち出したいと思いました。
自分自身にも家族にも日常生活で取り入れ、セルフセラピーができるようになりました。
心の仕組みを知り、ストレス軽減
心の安心の土台を育み自信をもって行動できる
対人関係良好に築ける
他人に振り回されることなく自分の人生を自由に作っていく など
子ども時代の心の傷をいやすことで
ママが毎日、安心して楽しめるようにカウンセリングでサポート
毎日家族や子どものために頑張ってるのに「子育てがうまくいかない」「こんなはずじゃないのに」「子どもに手をあげてしまう」「子どもとの関りがわからな」」と子育て中のお母さんには、些細なことから深い悩みがたくさんあります。
お母さんがストレスけいげんしてもらいたい、そのために自身の心を癒し、少しでも子育てが楽しめるように
なってほしいと思います。
育児本を読んでも、うまくいかない。
なぜ、うまくいかないのか根本的な原因をお伝えししんどい子育てが、子育て上手な幸せママになってもらえるようにサポートしています。
カウンセラーと二人三脚で、なりたい自分を手に入れてください。
女性が仕事を長く続けるために
カウンセリングで心のバランスを整える世の中へ
私の未来予想図
*女性たちが、子育てや保育ですぐに実践でき、役立てられるカウンセラーのスキルを身につけられるサポートがしたい!
*女性が抱えるストレスで離職せず、長く働いてほしい!ママさん、保育士さんなどの負担を軽減させたい。
(心のサポート)
*幼稚園や保育園で普通に先生たちとカウンセラーが協力し合って、子どもたちやご家族のためにサポートできる環境づくり。保健室の先生のような子育てカウンセラールーム
なぜこう思ったのか!
・幼保の3大ストレス→①職場の人間関係 ②保護者への対応 ③仕事内容、労働環境
・結婚したら、働きにくくなったり、子育ての後、復帰ができない。女性の働きやすい環境ではないのが現実。
・私の教え子が、幼稚園の先生に何人かなっていて相談に来たり、、つぶれていく先生、希望をもって入った新人保育士が、自信を無くし辞めていく姿を見たり、聞いたりして、そんな先生たちを支えたい、
そして、帰宅後の持ち帰る仕事があり、プライベートと仕事の区別があいまいになりがちでした。
他人軸で過ごす時間の長い先生たちが、自分と向き合い、自分の身体と心のメンテナンスが出来るように、ストレスによる病気やストレス解消法も身に着けてほしい。
一瞬のリフレッシュでは解消しないストレスは、ぜひ、カウンセラーのスキルで、悩みや辛さとさよならしましょう!
園を支える先生方が、毎日笑顔で子どもたちと向き合ってもらえるように、そんな園づくりの新しいカタチを一緒に考え、サポートしたいと思います。そんな素敵な職場づくりを一緒にしましょう。